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美味しいもの、美容、ファッションときどき古典。

これからもずっと私が古典と向き合っていくために……

 あまり自分のことを語るのが、昔から好きではありませんでした。「カサイくんって、秘密主義だね」と、中学校で仲の良かった女の子によく言われていました。好きな色や食べ物など、他愛もない話をしていて、きちんと答えず、ななめな回答をしていました。きちんと分かられている、きちんと知られているということが気持ち悪くて、なんだかよく分からない部分を残しておきたくて、そうしていた面もありますし、自分にどうしても自信が持てなかったからという面もあります。自分が何を好きだとか、こういう考えを持っているとか、そういうことへの自信が本当になかったのです。

 

 そんな私が、ずっと好きだったのが古典です。古い言葉の響きであったり、古いお話の世界での出来事に惹かれていました。あまり友達と共有できる趣味ではなかったので、周りとは普通にゲームをして遊んだり、漫画の話をしたりしていました。そんなときでも、いつも頭のどこかでは古典のことを考えていたと思います。ポケモンをやりながら、なんとなく「八百万の神」というのは、ポケモンと通じるなとか、そんなことを空想してみたり。でも、もともとは古典というよりは歴史が好きだったのです。あまり友達が多くなかったので、本ばかり読んでいて、特に伝記が好きだったのです。それから、三国志の漫画とか。でも、学んでいくうちに気が付いたんですね。歴史そのものが好きというより、「物語」が、お話が、好きなんだなと。それから、古典を学べば、昔の文献に自分でアクセスできるようになるんだという点にも、ロマンを感じていました。それから、それから、やはり祖母の存在も大きかったです。祖母は、国語の先生でもあり、歌を詠む人でもありました。百人一首を教えてくれたり、辞書の引き方を教えてくれたり、幼いころから、寄り添ってくれて、いろんなことを教えてくれた存在でした。

 

 小学校の低学年だったと思います。国語の授業で辞書を引きましょうということになりました。私の隣の席の子が、辞書を持っていなかったので、私が席をくっつけて見せてあげました。後に知ったことですが、彼の家庭はあまり裕福ではなく辞書を買うことが出来なかったということです。さて、その日、私は祖母に辞書を貸してあげた話をしたのでした。彼の家庭のことは私は知りませんでしたから、何気なく学校での出来事を話しただけでした。祖母は辞書を用意してくれて、その子に渡すようにと私に言ったのでした。結局、彼は転校することになったので、その後ずっと連絡を取ることもなかったのですが、これが現代のすごいところで、もう社会に出てからSNSを通して再会することができたのです。彼は国語科の教員となっていました。もしかすると、祖母の辞書のおかげという部分も少なからずあるのかな、なんてことを思いもしました。

 

 一冊の辞書が人の人生を変えたり、言葉の力や誰かの存在が他の誰かを動かしたりすることはやはりあるのだと思います。祖母がいなければ、私は古典を学ぶという道には進むことはなかったでしょう。時には古典と向き合うことがしんどくて、逃げたくなったこともなくはないのですが、やっぱりずっと離れることができません。

 

 予備校で古典を教えるようになって、古典を離れたいと強く思うことが何度かありました。私は古典が好きなのに、教える相手の受講者たちの中では、古典はだいたい嫌われ者で、それが耐え難いことでした。考えてみれば、当たり前のことです。自分が好きなものを、他の誰もが同じように好きとは限らないのです。自分の好きを押し付けてはいけません。予備校に来る受講者たちは、成績を向上させ、大学入試を突破することが第一目標であり、古典で、その目標達成に少しばかりの貢献をすることが大切なのです。そんな当たり前のことに気が付くまでには結構な年月を要しましたし、非常に苦しんできました。自分なりの向き合い方を見つけて、私が古典が好きだということはアピールしよう、ただ押し付けないようにしよう、そしてきちんと成績が向上するように全力を尽くし、結果を出そう。そう考えるようになり、それなりにうまくいくようにもなっていました。もちろん、まだまだな部分もあり、もっと精進しなければと、自分の未熟さが嫌になる日々でもありましたが。

 

 そんな風にして、私は自分の居場所をきちんと見つけることができていたのだと思います。本当は研究をしたかった思いを捨て去れたわけではないけれど、予備校という場で、古典を教えることの意義も楽しさも感じていました。ただ、あまりにいろんなものを顧みることなく、突き進んできてしまったようで、自分の体調はずっとよくありませんでした。私の身体だけならよかったかもしれませんが、ずっと病気をして入退院を繰り返したり、手術も何度かしていた私の家族が、いよいよもう危ないのではないか……長くはないという話を医者から聞いたのが昨年の秋ごろでした。ずっと仕事ばかりで傍にいることができなかった日々を悔いました。悩みに悩み、一度仕事をすべて辞め、傍にいられるようにしようと決めました。この決断は本当に早かったと思います。ただ、私はやっぱり秘密主義なので、この決断に関わる一連の出来事について、予備校側含め多くの人には語りませんでした。その方が、目の前の向き合うべき出来事に向き合えるのではないかと思ったからかもしれません。期限がいつまでなのか分からない、いや、そんなことを決めること自体よくないことかな気がして、休養ではなく引退という形式しようと思いました。その甲斐あって、向き合った甲斐があって、実は奇跡的に、もう望みがないと言われていたものが、快方に向かっています。

 

 私自身、自分のことについて考えるいい機会になったと思っています。何もまとまらないどうしようもない記事ですが、思いつくがままにただ言葉を並べたいと思いました。さて、次の一歩を踏み出す時です。私はこれからも古典と共に生きていきます。